米軍基地と軍港の街にて 2017年11月(撮影)

江戸時代末期フランスの技術協力で横須賀に造船所の建設が始まり、明治政府に引き継がれて完成した。この造船所で建造された最大の船は大和型3番艦の戦艦信濃として建造途中にミッドウエー海戦の大敗北で空母を多数失ったため、急遽航空母艦として設計変更された空母信濃。ほぼ完成した後、敵航空機による空襲を避けるため呉軍港に回航途中、敵潜水艦の魚雷攻撃で撃沈された。
敗戦前、横須賀には海軍鎮守府が置かれ、当時は神奈川県では横浜に次いで2番目の大都市だったという。海軍の命令で強制的に逗子を横須賀に編入した頃のことか。現在はというと首都圏の外れに位置してはいるが人口減少に歯止めがかからない弱小市になってしまった。政府系機関を首都圏から地方に移転させようという政府の方針で横須賀の国立機関も移転候補になっているが、むしろ東京都心から防衛省あたりを横須賀に持ってきて欲しいくらいに衰退傾向にある。

猿島は東京湾に残る唯一の自然島。現在は無人島。

帝都防衛のため東京湾に建設された第2海堡。

日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海海戦の旗艦三笠(左)。日本海海戦を指揮した東郷大将(右)。しかし日本海海戦で戦闘を実際に指揮したのは参謀で東郷大将は状況変化時の指揮能力に欠け、陸軍の乃木大将と同様に無能だったという説もある。軍部は軍備増強を強引に進めるため軍神神話を必要としており無能な2人を軍神に祭り上げたという説。こうして歴史は作られたのかな。

太平洋戦争敗戦前、横須賀鎮守府と海軍工廠があった場所は、現在はアメリカに接収されて米海軍横須賀基地として第7艦隊の原子力空母や原子力潜水艦の母港となっている。

横須賀基地の中は治外法権でアメリカ仕様になっている。

横須賀海軍工廠本部だった建物は米軍の士官クラブに変身。

幕末から明治初頭にかけて造られたドライドッグは米軍艦船の修理設備となっているが老朽化している。米軍に接収されていなければ世界遺産に登録してより良い保存状態を保つことが出来ていたかもしれない。日本政府は米軍接収状態のままでも世界遺産登録申請すべし。

カーティス・ウィルバー(54)。

右のマッキャンベル(84)と2隻のイージス艦。

自衛隊の潜水艦が停泊している。

オーストラリアの潜水艦も寄航中。

全通甲板のいずも(左)とひゅうが(右)。いずれもヘリ空母(正式にはヘリ搭載護衛艦というらしい)。

左からふゆづき(118)、ゆうだち(103)、まきなみ(112)。

左からたかなみ(110)、あすか(6102)、すずなみ(114)。

潜水作業の支援を行う水中処分母船。

掃海艇はつしま(606)。繊維強化プラスチック(GFRP)製。

退役する木造掃海艇。艦番号は塗りつぶされている。

東京湾の大型船航路を示すブイ。後方は第2海堡。