フェンスの向こうのアメリカ 2018年5月(撮影)

「フェンスの向こうのアメリカ」という歌があった。日本国内にありながら鉄製の柵に囲まれた米軍基地をイメージした歌だったと思う。フェンスの向こうに本当にアメリカはあるのだろうか。私は確かめたくて米海軍横須賀基地の鉄柵を乗り越えた。日常生活的にはアメリカっぽくて通貨は米ドルだけど、しかしそこは決してアメリカではなく日本の土地でアメリカに貸与されている場所だった。行政上は日本が戦争に負ける前につけられていた日本語の地名が今もしっかりと残っている。
原子力空母ロナルド・レーガンが見られるかと思ったが、ちょうど前の日に出港してしまって、約1週間後に戻ってきたとのこと。留守中お邪魔しました。

想像に反して車は左側通行だった。考えてみればフェンスの外から中に入ったとたんに右側通行に変えるのは無理がある。

病院の敷地内は全面禁煙。車の中でも禁煙と表示がある。日本では喫煙コーナーが用意されている病院もあるけれど・・・・。

日本海軍の横須賀鎮守府会議所の表示が残っている。

この横須賀海軍病院の表示も昔のまま。

関東大震災の碑。横須賀海軍工廠でも関東大震災の被害は大きかったらしい。

アメリカ軍の燃料タンク。1フィートは1尺くらいなんだ。アメリカはメートル法を取り入れていないから尺貫法表記にしたのかな。

1号ドライドックは慶応2年着工、明治4年に竣工した。設計者はヴェルニー。

2号ドライドックは明治13年着工で明治17年竣工。設計者はジュウェット。

6号ドライドックは最大のドックでかつては空母信濃が建造された。現在ではアメリカの原子力空母を入れて修理することができる。

揚陸指揮艦のブルーリッジはアメリカ海軍第7艦隊の旗艦。原子力空母はいくつか代替わりしたが旗艦は変わっていない。

ブルーリッジの向こうの巨大クレーンのあたりが原子力空母マクドマルド・トランプじゃなくてロナルド・レーガンが停泊する場所。

イージス艦でミサイル駆逐艦のステザム。

巨大クレーンにはニックネームがつけられている。これは「怪獣」。

アメリカ海軍横須賀基地司令部の庁舎(左)と玄関に掲げられているマーク(右)。建物は日本海軍鎮守府だったもの。

アメリカ海軍横須賀基地司令部(左)とその内部(右)。かつての横須賀鎮守府会議所と横須賀海軍艦船部の建物。

米軍基地の救急車。

基地に入るための1日パスポート。テーマパークじゃないけれど。

米軍基地の向い側にあるヴェルニー公園に移設された営門(左)と横須賀海軍工廠で建造された戦艦陸奥の主砲。


米海軍横須賀基地の中に入ってみて驚いたことが2つあった。1つは基地内もアメリカ本土とは違って車は左側通行だったこと。でもこれは少し考えてみればそうならざるを得ないことが分かる。基地の門を通過したとたんに右側通行にするには道路の設計が複雑になるだけでなく運転者も混乱してしまうだろう。
もう1つは、信号機の無い横断歩道では歩行者優先だったこと。横断歩道を渡ろうとしている人がいれば車は例外なく必ず停車して歩行者が渡り終えるまで待つ。治外法権の基地から一歩外に出た日本の横断歩道は車優先で歩行者は車の流れが途切れるのを待って急いで横断歩道を渡る。横断歩道を渡ろうとしている人がいても基本的に車は止まらない。交通マナーを一番守るはずのタクシーやトラックなどプロの運転者でも止まらない。